全国的に見ても間違いなくバーの名店の一つ #ディープな鳥取ガイド ♭1
店名、住所、連絡先などは、掲載できませんが、行ってみたい方は、ご紹介いたします。お尋ねください。
お酒の雑誌「バッカス」
昔、東京に上京したての頃、朝日新聞社発行のブライダルムック「ブリランテ」を編集するプロダクションで働いていた。当時新人だった私の仕事の終わりは、朝日新聞社への雑誌の原稿の入稿をもって、仕事終わりということが日常といえば、日常だった。この頃、椎名誠が責任編集の、お酒の雑誌「バッカス」というのがあった。まだバブルが崩壊する前で、広告を出したいスポンサーがうなっていたから、毎日いろんな雑誌が次々に創刊していく、創刊のラッシュの全盛期だった。ブライダル雑誌などではなく、もっとメジャーな雑誌の編集者になりたくて、夜は女性のための編集者学校(本当は、あまり、”女性のため”がつくのがどうにも好まなかったが、夜仕事終わりに行ける学校というのに惹かれた)に通い、著名な編集者や、作家さんの講義を受け、幾つもの雑誌を定期購読し、雑誌研究に明け暮れていた頃、「バッカス」は、その雑誌コレクションの一つだった。
付録の冊子「日本バー名鑑」片手にバー巡り
いつだったか、付録に、「日本バー名鑑」という黄色い冊子がついてきたことがあった。記事によると日本のバーの名店が世代交代の時代へと突入しているので、いくら息子と言えども、オーナーが変わると別のバーになってしまうので、名だたる名店には、今のうちに訪れておかなければならないと書いてあった。また、同じ頃、雑誌BRUTASの編集長だったか、編集者が書いた「日本バーテンダー物語」という本が出版されて、銀座の古き良きバーの歴史と共に名店が紹介され、同じようなことが書いてあった。せっかく仕事が、バーのメッカである、東銀座で終わるのだから、銀座界隈の名店と呼ばれるバーに行かないという手はなく、片っ端しから行ってみたものだった。
銀座コリドー街の伝説のバー「クール」
緑川六郎さんという有名なバーテンダーのいるコリドー街の「クール」には、その本によると、名バーテンダーというものは、客の視界の中に邪魔にならない程度に入っているけれど、こちらが声をかけたければいつでもかけることができる絶妙な距離のところに立っているものだというようなことが書いてあり、それを確かめに行った。何も言わなくても、ツーフィンガー(指2本分)のウイスキーがグラスに入ってで出てくものだとか、バーにはフードなどというものはもちろんメニューにはなく、立ち飲みのみで、一杯ひっかけてから、次の店に遊びに出かけていく場所だから、お勘定を済ますと、「行ってらっしゃいまし」と言われることで有名だった。
太宰治が通ったバー「ルパン」
古さで言えば、交詢社ビルの地下にある「サンスーシー」確か谷秋純一郎が行きつけあったか、名付け親だったような、、。写真家林忠彦が太宰治の肖像画を撮影したことで有名な「ルパン」にも行った。ボックス席にに座っていたら、女の子は、ボックス席には座るものじゃないの、こっちおいでと、ママにカウンターに呼び寄せられた。当時二十歳になって喫煙者になりたてだった私が、タバコに火をつけると、火の付け方が間違っているとママに言われた。女に人は、タバコを咥えてからではなく、火をつけてから、タバコを咥えるのではないと美しくないものよと、窘められたりもした。
バー巡りの扉を開いたバー「ラジオ」のカクテルブック
バー巡りは、大学時代、神戸に住んでいた頃のボーイフレンドが、原宿にあるバー「ラジオ」の美しいカクテルブックを見せてくれたことがきっかけで、はまった。バカラのグラスに入った美しいカクテルには、女優や男優の名前がついていた。薄ピンク色のカクテルには、”ジャンヌ・モロー”という名前がついていて、本人をイメージして作ったそのカクテルを、本人に提供したら、”私はこんなに強い女じゃないわ”と言われたとかいうエピソードが書いてあっって、学校の授業よりずっと面白かった。当時は、神戸のお洒落な繁華街、北野町のフランス料理の店でバイトしていた。アルバイトを探していたら、その店は「男子アルバイト募集」と書いてあったから、男子にできることは女子にもできると交渉して、バイトさせてもらった店だった。その頃、神戸にイエローページというガイドブックがあって、お店の紹介が、黄色い紙に、黒い文字で、2、3行で載っていた。その本を片手に、レストランやバーを巡った。
蔦の絡まる掘建て小屋にある日明かりが、、。そこが有名なバー「アカデミー」
住所モノクロのマップ以外には情報がなかったから、とにかく歩いて探そうと思っても、なかなか見つけられないバーもあった。画家の小磯良平、小説家の梅崎春生が通ったという「アカデミー」というバーは、なかなか見つけることができなかった。Google マップなどというものはなかったわけだから、どうしてさがしたものか覚えていないけど、ひたすら、道という道を歩き、ビルというビルを巡った。加納町の大きな交差点の陸橋の高架下近くのそのバーの住所にあるのは、ただの掘建て小屋っぽい建物、看板もない。いつも電気もついていないから、もうなくなってしまったのかなあと思いながら、ある夜、その掘建て小屋にあかりが点っているのを発見!近づいて覗いてみると、絡まるツタの隙間に、英語でACADEMYの文字が見えた。恐る恐るその日本風の引き戸カラカラと開けると、中は石畳に、寄せ集めの椅子とテーブルが無造作に置かれ、阪神タイガースの旗が印象的だった。壁には、小磯良平の描いたいたずら書きがそのまま残っていた。
忘れられないバー「ローハイド」、扉を開けると、そこは、、、。
また、忘れられないのは、「ローハイド」というバー。このバーも、ビルの外には、レトロな字体の縦組みで「ローハイド」と、緑に白抜きの文字で看板が出ていたが、そのビルには、何度言っても、バーらしきものはなかった。肌色のペンキの塗られた、鉄の古びたドアには、「日本ダーツゲーム協会会員」という横に細長いプレートにチェーンがついたものが、かかっていた。どう考えても、ここ以外には、考えられないと、ある日思い切って、扉を開けてみると、そこには、ぱあっとバーの世界が広がっていた。バーというものはこういうものです、と言わんばかりの、こういうところに入ってみたかったいうような、まるで夢見た憧れのバーとはこういう感じかというような、想像の世界を絵に描いたような、一度はこんなところに行ってみたかったというような典型的に魅力的な光景が広がっていた。扉の外からはとても想像できないくらい素敵なバー。
正面のカウンターに座り、一番安い、ウオッカのコーナから、ペルツオッカを頼んだ。アルコール度数90度の火のお酒と解説してあった。マスターが、ストレートで飲むと、喉を通る時にアルコールが蒸発して、火を飲んでいるようだからこの名前がついたのだと聞いた。悪いことは言わないから、半分にしておいた方がいいと、ショットグラスに特別に半分だけ入れてもらった。今思えば、二十歳になって、アルコールが解禁となり、すぐに始めたバー巡り、マスターも心配したのかもしれない。
大人がお酒を楽しむ姿が羨ましくて、早く大人になりたかった。
小さい頃から、我が家の奥の間は、いつも客人が来て、楽しそうにお酒を飲んでいた。ある時は、おばあちゃんの和歌の同人誌仲間や、源氏物語を読む会の先生方、父の友人たち、なぜか、担任の先生方が来られて、飲んでおられる時もあった。その光景があまりに楽しそうで、りビングのソファーに登って、欄間の隙間から、その様子をよく覗き見したものだった。大人がお酒を飲みながら、楽しそうに遊んでいる光景を見て、大人が羨ましかったし、早く大人になって、自分のこの宴会に参加してみたいものだと常々思っていた。そんな子供時代の思い出が、私をお酒への興味、バーの興味へと駆り立てたのかもしれない。
鳥取で他のバーに行く必要性を全く感じない、私の1番のおすすめ
さて、前置きがすっかり長くなってしまったが、そんなバー巡りが趣味の私が、鳥取で、バーといえばここといういちばんのお勧め。ここに行けば、他のバーを、尋ねる必要がないから、他には行かない。ほんのたまに、付き合いで、別のバーにいくこともあるけど、バーという名の居酒屋であったり、お料理が出たり、バーとは名ばかりの違う形に変貌した店も多く、なぜか、後でもう一度行ってみたいと思うバーは今のところミスティー以外にはない。鳥取の繁華街といえば弥生町。車を持っていなければ、生活できない鳥取では、車通勤の方がほとんどですので、飲み会に出かけても、ノンアルコールの方がますます増えつつある鳥取にあって、このバーは、代行代がかかっても、わざわざ行く価値のあるお店であることは間違いない。
飲み会の後、ひとりになってから、最後に行く店
私は、飲み会の後、皆と解散してから、必ず一人で、このバーに寄って、一杯ひっかけてから帰るのがルーティン。県外からの友人はもちろんだが、このお店の価値を共有できる人だけを連れていくことにしている。価値を伝えるのが難しいなあと感じる人は、決して誘わないことにしている。スポーツにもルールがあって楽しいように、バーにも、楽しむためのルールがある。それが理解しもらえそうな人とだけいくことにしている。楽しむお酒の種類によっては、グラスの種類や形が違う。蓋がついていて、香りを閉じ込めるためのグラスに入ってくるお酒、グラスの形が、縦長だったり、手の温度で温めながら飲むタイプのお酒の場合は、そこが大きく丸かったりする。バーのグラスは、大切なグラスだから、グラスを合わせて、音を立てたりいては行けない。注がれたお酒のボトルが目の前に置かれても、貴重なボトルがあったりするから、触ってもいいですかって、確認したりするというような暗黙のルールがある。どこのバーに行っても恥ずかしくないように、本当のお酒の楽しみ方、バーの楽しみ方のルールを教えてもらえる貴重なお店と言える。
「鳥取にこの店があることが誇り」とゲストが呟く店
お酒の種類によって、飲む順番や、楽しみ方を、指南してくれるマスターは、お酒のコンシェルジュ。自らを、バーテンダーではなく、自らをクリエイターと称するマスターがいる。あるお客が、カウンターの片隅で、こんな話をしていた。鳥取に勤務していた時代に、このバーに通い詰めたと思われるこの客人が、久しぶりに鳥取に訪れ、部下を連れて、きているらしかった。「俺は、鳥取にこの店があることを誇りに思う。一度お前たちを連れて来たかった」というような意味のことを言っているのが聞こえて来た。いつか、どこかで、うちの店も、この店が鳥取にあることが誇りですと言われてみたいものだと思う。羨ましい限りである。
年は下であるが、マスターのことを、私は密かに師匠と呼んでいる。もちろん本人には内緒であるが。道に迷いそうな時には、何度となく、その度にここを訪れた。迷惑な時間まで、付き合ってもらったことも幾度となくあった。バー文化を今に伝える、数少ない名店だと思っているから、バーを本来の楽しみ方を学びたいのなら、一度は訪れて欲しい。全国に、出張する度に、いろんなバーに行ったが、個人的には、その中でも、群を抜いて、魅力的な店であることは間違い無いと思う。わざわざ、ここを目指して遊びにきても、価値のある店と言える。
だから誰でも連れていくわけでは無い、お店に敬意を評して、楽しんでくれることのできる人しか連れていかない。駅前のホテルに宿泊の折には、尋ねてみて欲しい。
最後の締めは、酒飲み専用アイスクリームで
代行を呼んでもらう時、電話口で、マスターの住所の言い方を勝手に気に入っている。なぜか井上陽水の、「ホテルはリバーサイド、、、」と歌っている曲を思い出して、なんとなく、そのホテルにはこんなバーがありそうな気がして、勝手に妄想して、楽しんでいる。街の喧騒から少し離れた、川沿いの住宅街にその店はある。暗闇の中に、そこだけほんのりとあかりが点っていて、ドアに書いてあるお店の名前を浮かび上がらせている。バーというものは、表通りにあってはいけない、通りから少し入ったところや、裏路地にあるのがふさわしいものだと、富山博覧会の仕事で富山に通い詰めていた時に入り浸っていた「ロッジ」というバーのマスターが言っていた。
最後に忘れてはならないのは、”酒飲み専用アイスクリーム”である。その日の飲んだお酒の種類などによって、アイスにかかってくるお酒の種類は異なるが、仕上げに食べたい逸品。ただし、ただのアイスクリームは頼むことができません。あくまで、明けのみ専用のアイスクリームしか、メニュにはないので、ご注意を!